2002/10/18 ファーストショー

ついにやった! はじめてのソロでのショー、その名も”Ryo Okumoto Live in Tokyo in Shibuya Rock West”。小さなクラブだったが、始まりの場所としては充分な広さ。ついに長かった夢が叶った。

2002/10/18 ファーストショー_d0054325_151249.jpg全てはとてもうまく行った。ショーは大成功。友人達がそれぞれできる限りの方法で手助けしてくれた。クラブは多くの人で溢れてて、圧倒されてしまってたが、自分を見に来てくれた人達に囲まれて本当に幸せだったのは言うまでもない。何年もの間、僕はサポートキーボードプレイヤーとしてステージに立ってきたが、今、自分がショーのメインアーティストになりその責任はとても重い。普段の5倍から10倍の仕事量をこなさないといけない。普段(サポートキーボードプレイヤーの時)は、飛行機のチケットとスケジュールをもらい、現地へ。そして、サウンドチェックをし、コンサートをし、ホテルに戻り休むだけ。しかし今回は違う。やる事が多すぎて目が廻りそうだったが、結果的に全てをエンジョイ出来た。

10月15日にCDがアメリカ、ヨーロッパから発売、11月25日に日本から発売になるので、日本へは9月27日から3週間帰ってプロモーションをしていた。10月のはじめ、親友のMr.太田に東京でライブをできるところがないか尋ねたところ、渋谷にオープンする予定のRock Westが10月18日に空いているという事でさっそくクラブを見に。ステージは5ピースのバンド、オーディエンスは100人くらいでいっぱいになるような小さいクラブだけど感じはよし。

そして、昔東京にいた時にクリエーションで一緒にやっていたドラマーとサックスプレイヤーに連絡。電話をかけるととても喜んでくれ、プロモーションの手助けもしてくれるといってくれた。実際彼らは僕とプレイしたくてたまらなかった様子。そして一緒にライブができるかどうか聞いてみたところもちろんOK!! そのドラマーの名前は樋口晶之、そしてサックスプレイヤーは包国充だ。

そうなるとベーシストが必要。で、さっきの2人が樋沢さんいうプレイヤーを紹介してくれた。僕は会ったことがなかったのだが、本当に優れたプレイヤーとのこと。そしてショーをしてみた結果本当にその通り。信じられないプレイヤーだった。2人に勧められて彼に電話をしてみたところ、空いている日が10月18日だけ。まさにショーの日。これは偶然なのか?すぐクラブをブッキングし、完全に予約を入れた。いまのところ4ピースバンド。リズムセクション+サックス。Great! I have a show!

他に、最近新しく友だちになった、サザンオールスターズでパーカッションをしている”毛ガニ”さんがいる。”サザン”は本当にすごい。ヒットを20年間出し続けていて、CDをリリースする度に1位になる。そのパーカッションプレイヤーである毛ガニさんが僕とプレイしたいというので、ゲストとしての出演をお願いすることに。そして今、バンドは5ピース。

また、太田氏を通じて知り合ったakikoというジャズシンガーがいる。アメリカで最も大きなジャズレーベルで、ナタリー・コールも所属のバーブレコードに所属していて、今多くの注目を浴びてきている。みんなが彼女は良いと教えてくれてはいたものの、今までその歌を聴いたことがなかった。でもその彼女が、もしかしたらショーに出られるかもしれないということ、もしそうなれば彼女が2曲を選んで歌いたい、ということを伝えてきてくれた。

又、石井一孝というもう一人のシンガーがいる。彼はミュージカル界のスターで、彼も歌ってくれるということで、つまり現時点で多くのゲストシンガーとプレイヤーを集めたことに。

クラブとミュージシャンを決めた後にまず僕は、アシスタントのミナミにちらしを作らせ、プリントアウトした。そしてそれをいろんな人に配り、渋谷のレコード店に置いてもらった。

また、友だちがFMラジオステーションを紹介してくれ、ラジオでショーの告知と、”Coming Through”から一曲オンエアしてくれた。曲は”Slipping Down”。後日その模様を収録したテープをもらったのだが、そのテープを聴くということは、僕にとってとてもショッキングなことだった。というのは、ラジオで自分の曲が流れるのは初めてのことなのだ。実際には20年前のソロアルバムの時にも僕の曲はオンエアされているのだが、あれから20年。そのラジオでDJがライブの告知をし、僕の紹介をし、いよいよSlipping Downが始まるとき、涙が溢れてきて、長い時間涙が止まらなかった。泣き止むことなどできなかった。本当に幸せな瞬間だった。

みんながこのショーのプロモーションを多くのホームページにリンクしてくれたり、ラジオやチラシで宣伝してくれたお陰でたくさんの人達が僕を見にショーに来てくれたのだと本当に思う。

当日は午前11時30分にクラブに着いた。僕は日本人がこんなにもテキパキと、プロフェッショナルに働くということを忘れていた。ステージを組み建てや、ライトとサウンドの調整をしてるのを見て、「オレももっと働かないと」と言う気持ちにさせられた。ひとつだけ心配だったのはベースプレイヤーが18日当日しか会えなかったこと。だから、全員で一度もリハーサルをすることができなかったのだ。そのリハの一度はサックスと二人で、もう一度はスタジオでサックスとドラムと僕で。でもそのリハーサルは本当にうまく行ったので、全員でのリハーサルなしでもこの心配を克服することができたんだと思う。

サウンドチェックとリハーサルはシヨー当日10月18日の午後1時半からスタート。技術的な問題はたくさん抱えていたものの、最終的には2時半から始め、5時半までには終えなければならなかった。これやってあれやってっていう感じでどんどん進めていった。もちろん、このリハーサルの前にもいろいろな準備をしてきている。前もってテープと曲を渡し、メンバーはそれをこなしてきた。当日集まった時にはすでにリハーサルの準備ができていたのだ。だからすべてうまく行った。 Wow。これでこそアーティスト。 そしてゲストのシンガーが来てからのリハーサルもまた、うまくいった。

何かを始めるということは本当にエキサイティングだ。でも一方でそれはすごく大変なことでもある。本当に多くの時間を費やし、常に体力を保っておかなければいけない。しかし、やはり本当にすばらしいことだと思う。22年前にアメリカに移り住んで来てからというもの、これは僕の夢で、ついにそれを実現できたのだから。

すごくお腹がすいていたので友人のハカセに何か買ってきてくれる様に頼むと、なんとマクドナルドのビッグマックとポテトを買って帰って来た・・・・。日本のマクドナルド!Oh my God! そのビッグマックとポテトを大量のコカ・コーラを流し込んだのがちょうどショーの5分前。まだ着替えもしていない状態。Oh, my God再び・・・。

衣装に着替えてると僕の日本のレコード会社であるクールサウンドの中田社長のMCがはじまった。ショーの前に僕の紹介をしてくれたのだ。ついにこのときが来た、ついにやった!!と思いながらステージへ向かう。僕はナーバスになると思っていたが、それは大丈夫だった。それはきっと、今までの人生のなかで何百というショーをこなしてきたという自信からだと思う。ピアノの前に座るとすぐに一曲目。Godzilla vs. King Ghidarahを選んた。すごくよかった。1曲目からまるで奇跡。なんという快感だろう。これは僕にとって本当に魔法のような瞬間だった。

僕は、自分のCDがプログレッシブロックだということを知っている。ロックである。でも日本でこれらの曲を歌えるシンガーを見つけられなかった為、自分が持ってるインストゥルメンタルの曲を多く演奏しなければならなかった。フュージョン、ジャズ、ファンク、そしてロック等多くのインストゥルメンタルの曲があるという理由から今回、メロディーにサックスを入れた。それ故、このショーはプログレやロックというよりは、ややフュージョン寄り。しかしサウンドやPAシステムのクオリティーやミュージシャンシップとしてのクオリティーなど、全てがすばらしいものだった。もう一つ良かったのはギタープレーヤーを入れなかったことだろう。ギターに惑わされることなく僕はいろんな動きをし、みんなも着いて来てくれた、それがすごくうまくいった原因だと思う。

また、僕はいろいろMCをしたのだが、これも楽しませることができたのではないかと思う。しかし僕は終始少し変な感じがしていた。というのは、オーディエンスのほうに目を向けることができなかったのだ。どちらかというとシャイなのかもしれない。それはなぜだかわからないのだが、ただ、本当にいい演奏に集中することができた。僕はお客さんの目を見るのが少し恐かったのだ。みんなが僕を見ているのは分かっていたから。

ショーのメインアーティストになったのはこれがはじめてのことだ。僕のショー。ただプレイ、プレイ、プレイ、ひたすらプレイ。僕は普段あまりインストゥルメンツではやらないにもかかわらず、本当にうまくいった。今回の機材は小さいYAMAHAのPS200と、トライトンStudio。この機材自体はすごくよかったのだが、あまり音色に慣れていなかった。約20音を準備してその中から選んでセッティングしたものの、いざステージに立ち、いろんなことを考えなければいけない今、どの音がどの番号かわからなくなってしまいすごくナーバスになっていた。音を変える前に少しためらっていた。でも僕はほんとにいい音を選んでたし、ソロは本当にうまくいったと思う。ラテン調の曲が多く、かなり昔に作った曲を多く演奏した。本当にうまくいった。サックスは本当によくプレーしてくれたと思う。彼の音、フィル、とてもすばらしいものだった。

この包国充というサックスプレイヤーについて少し触れたいと思う。彼の得意はロック、R&B、ブルース。このようなタイプのサックスプレイヤーを見つけるのはそう簡単ではないことだ。というのもミュージシャンがサックスをはじめる時、大抵はCharley Parkerをコピーしてジャズからはじめるから。みんなジャズプレイヤーになりたがるのだが、包国充は違う。彼は勿論ジャズもプレイするが、もっとロック寄りであるし、ロックのハートを持っている。僕は、本当にそれが好きだ。このショーのCDが完成した時、彼の音といっしょに、エモーションを感じることがでるだろうと思う。本当にすばらしいものだ。

その夜、ラテンナンバーが本当にうまくいった。他に、日本での僕のファーストレコードからも一曲、Makin’ Rockの”Original View Plus”をやった。本来はスティーブ・ルカサーと僕が一緒にメロディーをプレイしたもので、すごくいいロック、ファンクの曲。これはこのレコードのメインの曲で、多くの人が覚えてくれていて、みんな喜んでくれていたようだ。そして約5,6曲のインストゥルメンタルチューンの後、ゲストを招いた。

そのうちの一人、akikoについても少し触れたいと思う。ビートルズのCome TogatherをJazzアップテンポで歌ったのだ、すごくいいアレンジだった。本当によかった。みんなエンジョイしていた。彼女vsサックス、vs僕、という感じで対抗して歌ってた。サックスがソロをプレイし、そして彼女。そして僕がプレイ・・・といった感じ。彼女は本当にnice。本当にいい時間を過ごさせてくれたし、僕達はその曲をうまく料理できたと思う。そして彼女はもう一曲、スティービー・ワンダーのバラード、Latelyを歌った。彼女と僕はイントロでテンポ・ルバート(イントロなどで、テンポを保たないで自由なテンポを取ること)でプレーした。僕達はこのセクションを通していい時を過ごすことができたし、本当に互いにコミュニケーションをとることができた。すばらしいひとときだった。この結果に本当に満足している。

最後の曲ではもちろんリモートキーボードを手に取った。普段はCASIOを使うのだが、今回はYAMAHA KX5という小さいものを使った。そしてスティービー・ワンダーのLove Light in Flightをプレイ。これもすごくうまくいった。ステージが狭かったので、客の周りを歩き回ったのがすごく楽しかった。この時ばかりはお客さんの目を見ることができたし、みんな本当に楽しんでいるのが分かった。みんなの目が輝いているのを見て本当についにやったと思えた。It was great! そしてこの曲が最後の曲に。僕はショーを終えたのだ。

不幸なことに、この会場が10時以降はダンスクラブになるという理由でアンコールができなかった。7時に開始、そして9時には終了。最初は充分な時間があると踏んでたのに、結構MCに費やしてしまったせいであっという間に時間が過ぎてしまったようだ。アンコールの準備もしていたので少しがっくり。僕はステージにあいさつをしに戻り、そしてこのショーを終わらせた。

ステージを降りると突然みんなに囲まれてしまい、圧倒された。みんな近付いて来て、手をにぎり、ショーがどんなに楽しかったかを言ってくれた。こんなショーは今まで見たことがないと言ってくれる人もいた。みんなすごくよかったと言って喜んでくれていた。

ゆっくりとバックステージの方へ歩いてはいたのだが、たどりつけなかった。物販の所ではCDへのサイン攻撃。列はとても長く、そしてみんな僕と話したがってくれたから応えていた。長時間続いた。そこでのサインは45分くらい。でも僕には2時間くらいに思えた。

その間、スタッフがいろいろと質問してきた。お金やクラブパーセンテージに関するなど色々。また、他のスタッフは機材をどうしたらいいか聞いてきた。一方ではクラブのスタッフにもPAシステムを頭の上のところに設置するから少し動いて、と言われたり。ふぅ。それはまるで、突然大きな海のまん中の小さい島で、400人の人に囲まれてアタックとタッチの嵐。

でも言いたいのは、すごくいい時間を過ごすことができたいうことだ。僕は、何かの中心となり、すべての注目を集めていることが好きだ。みんなにいい時間といい思い出をあげることが本当に好きだ。僕はいつもこういうことがしたい。これからの新しい目的が出来たと思っている。これが僕の仕事になるのだ。友人達と僕の曲をショーで演奏し、多くの友人が僕を囲み、また多くの人達が僕につきあってくれる。彼らが僕のために働いてくれるのは、僕と一緒にいたいと思ってくれて、僕の一部になりたいと思ってくれるからだと思う。僕は今回それをとても感じた。

ショーの後、友人が近くの居酒屋に予約を入れてくれた。ミュージシャンやクルー全員で20人。とても楽しいパーティータイム。みんなむちゃくちゃ騒いで、ジョークの言い合い。酒、スタッフと、みんな本当に楽しかった。すごくハッピーだったので結局僕が払うことにしたのだが、なんと約6万円・・・。イタタタタ。

でもみんなに何かおかえしをしたかったので、本当に全然気にならなかった。もちろんこのショーのためにお金はたくさんなくなってしまったが、これほど有用に使った金はないだろう。僕はずーっと念願だったことをした。そしてみんながもう一度やってくれというのも確信している。僕はこのショーをまたやるし、日本で、東京で、L.A.で、ニューヨークで、ヨーロッパで、何度も何度でもやる。僕は人々が僕の音を聞きたいときはいつでも、ショーをするためならどこへでも行くのだ。

以上、これが東京での僕のファーストライブの全て。